2025/07/03

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文化・社会

台湾初の心理学博士、楊国枢さんが死去

2018/07/18
華人社会における心理学の発展に注力した楊国枢さんは、還暦を過ぎてもなお、精力的に活動を続け、心理学界に貢献するため常に最善を尽くすことを厭わなかった。その姿は、学者の鏡として心理学の巨匠と呼ばれた。 (中央社)
国立台湾大学(台湾北部・台北市)心理学科名誉教授、楊国枢さんが17日未明死去した。86歳。楊国枢さんは、華人社会の文化的特徴を捉えた現地に根差した心理学を提唱してきた。常に学者の立場を保ち、その模範的な風格は、華人社会における心理学の巨匠と称された。 

国立台湾大学心理学科が17日にフェイスブックで公開したところによると、楊国枢さんは、国立台湾大学医学院附属病院北護分院の介護病棟で眠るように息を引き取ったという。 

1932年に中国大陸山東省の農家に生まれた楊国枢さんは国立台湾大学心理学科を卒業後、米イリノイ大学の博士課程に学んだ。台湾における初めての心理学博士となり、台湾帰国後は40年に渡り教職に就いた。1959年から国立台湾大学で教鞭をとり、1988年には台湾の最高学術研究機関、 中央研究院の院士(フェロー)となった。中華心理学会の理事長、国際生命線協会中華民国総会の理事長、中央研究院の副院長、 教育部(日本の文部科学省に類似)の国家講座の教授なども務めた経験を持つ。 教え子には葉啓政さんや李美枝さんなどがおり、後進の心理学者育成にも力を注いだ。楊国枢さんの専門は人格心理学と社会心理学、著作には「華人心理的本土化研究」などがある。

国立台湾大学心理学科が出版している季刊誌の取材を受けたとき楊国枢さんは、「華人が研究する心理学には盲点がある。それは西洋の心理学の理論や方式をすべて適用して考えることだ」と指摘した。楊国枢さんは積極的に華人社会の文化的特徴を捉えた華人のための心理学を提唱・推進し、台湾における心理学研究のために確かで安定した基礎を築いた。 

華人社会における心理学の発展に注力した楊国枢さんは、還暦を過ぎてもなお、各地で開かれるセミナーに参加し、著作を発表し続けた。そして多くの大規模な研究計画を主導し、心理学界に貢献するため常に最善を尽くすことを厭わなかった。学術研究に対する熱意や後進から師と仰がれ学問を請われることにこだわり続ける姿は、学者の鏡として心理学の巨匠と称された。 

楊国枢さんの訃報を聞いた総統府の陳菊秘書長は17日夜、「戒厳令下の台湾で、楊国枢さんは権力を恐れず屈することのなかった数少ない党外の教育者の一人だった。楊国枢さんの理念と精神は本人が亡くなっても消えることがない」と自身のフェイスブックに書き込んだ。 陳菊秘書長は5月に、蔡英文総統とお見舞いのため楊国枢さんの病室を訪れたという。その時の様子について陳菊秘書長は「脳卒中を患ったため、かつてのような健康体ではなかったものの、立派で勇ましい風格は相変わらずだった。威厳のある強い視線は30数年前の 戒厳令時代に会った楊国枢さんを彷彿とさせた。権力を恐れなかった数少ない党外の教育者として、美麗島事件(1979年に台湾南部・高雄市で起きた反体制運動弾圧事件)後、政府に対して不当な弾圧による殺害をやめるよう呼びかけた。そのため特務機関から監視されるようになった。彼はその生涯を通して、民主主義が持つ自由の理想と価値のため姿勢を正して人権擁護を唱え続けた 。そのような楊国枢さんの 強い理念は本人がこの世を去っても消え去ることはない」とコメントを寄せた。 

楊国枢さん生涯には優れたジャーナリストの一面もあった。1989年に学識者を中心とした政治評論団体「澄社」を創立、その先進的な思想に影響を受けた若者も少なくなかった。台湾に根差した心理学運動の発起人の一人といわれ、台湾における心理学界の巨匠と称された。 

戒厳令の解除前の台湾で、楊国枢さんの批判の言論は学界でも有名になっていた。創立した澄社では自ら初代代表を務めた。澄社の元代表者、顧忠華さんは楊国枢さんについて「民主化の道を歩むための改革を進め、暴力を伴うような革命を起こさなかったことは素晴らしい。台湾の民主化における歴史で重要なキーパーソンだ」と述べた。
 

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